Audioの楽しみ -1

まことに勝手ながら、はてなブログにある、JBL-JIMMYPAGE’s diaryさんのオーディオ関連のページに触発されて、過去の私のブログを転記して来ました。

 

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  趣味を持つのはいいことなのか、独身時代はずいぶんAudioにお金を使いました。音楽会に行くこととレコード(CD)を聴くこととは少し、違ったtasteなのですが、音楽の内実を聞き取ろうとするときには、わたしはレコードを頼りにします。演奏会の主に視覚的な雰囲気が、どうも気を散らす方向に影響を与えるようです。目を閉じてしまうとなんだかもったいないような気がして、その根性がだめなのかもしれません。

 

 本格的なAUDIOという意味では、高校2年の頃だったかもしれませんが、1971年当時の10万円のSONYのステレオセットでした。

 4畳半のピアノ部屋に一緒においてもらっていました。最初に聴いたのは、Mozartの40番かBeethovenの交響曲だったと思います。

 これより前は、私の生まれる頃から父が持っていたVictorの真空管式のオーディオ(当時はステレオと呼んでました。)では、よく、Mozartのバイオリンソナタがかかっていました。このステレオは、高校生になったばかりの私によって分解されて勉強部屋に移動し、新しいレコードプレーヤーを買い足して聴いていましたが、高校2年生にしてようやくこれを卒業できたわけです。

 ここまでは良くある話だと思います。

 

 それに加えて、高校の時の同級生に大阪浪速橋の高級オーディオ屋の息子がいて、彼が、あるとき、私の音楽趣味なら、Ortofonを聴くべきだとかなんとか言って、ヘッドシェルにトランス内蔵のSPUカートリッジを持ってきました。

 

 これで、ヨーロッパトーンに開眼しました。

 

 Ortofonは、ステレオ一式が買えるほどの価格のカートリッジでしたが、それはすばらしい、ヨーロッパの音が響いていました。

 私の小遣いではとても買えないので、代わりにEmpireというアメリカの会社のカートリッジを購入し、SONYのそれと交換して聴くようになりました。

 日本製のAudioの世界とは全く異なる、豊で音楽的な臨場感のある音の世界でした。

低音楽器の厚い層の上に旋律楽器が乗っている感じが聞き取れるのです。うれしかったですね。

 

 この頃にはすでに、バッハの平均律を毎朝日課のように聴いていました。父母が最初に第一巻の青いケースに入ったレコードセットを街に出かけたとき心斎橋のヤマハで購入しお土産で買ってきてくれたのです。

 

 まだ若い頃でしたから、交響曲などの方を聴きたがっていたのですけれど、ピアノのソロだし、地味な物を買ってきてくれたなと一瞬思ったのですが、聴いてみて驚きました。これが本当の音楽だと判ったのです。この、音楽のことは改めて書きます。

 

そんなこんなで、高度成長を享受しているころ、

 兄が、東京から戻ってくる話になりました。初月給だか、ボーナスだかで、本格的なAudioを買おうということになりました。父も援助するということで、予算30万円でしたでしょうか。

 

 私が探してくることになりました。

 まずSpeakerから探し始めました。Audioの肝はSpeakerなのです。この楽器をいかに鳴らすかをSystematicに考えなければなりません。

 

ずいぶんいろいろ聴きました。母(ピアノの持ち主)と買い物に出た際にも一緒に聴いてもらって、当時のTANNOY HPD も聞きましたが、店ではうまく鳴らし切れていなかったのでしょう、高域がきつくてダメという母・子の見解でしたね。

 ずいぶん探して、ヤマハダイヤトーンも聞きましたが、雑誌やなんかの記事を参考に実物を聞きこんで、Acoustic Research という会社の AR-2ax というのにすることになりました。

 本当はAR-3aというのがほしかったのですが、予算が足りません。当時は、いいアンプが無く、結局ONKYOのIntegra A722 でした。 

  PlayerはVictor Direct drive。ピックアップは、いずれ、ORTOFON SPUを購入することになるのですが、しばらくDENON -DL103 をトランスを介してつないでいました。

カタログを報告書にまとめて、父と兄の決済をもらって、兄とオーディオ屋に買いに行きました。これは、幸せなひとときでした。1~2年後にDENONカセットデッキを追加しました。

 これが、私のオーディオの初めです。 

 

 その後、大学は東京だったので、下宿には、VictorのポータブルカセットデッキKD-3を父に買ってもらってこれを持って行きました。

当時のラジカセは音が揺れてとてもピアノを鳴らすことなど出来ませんでした。

カセットデッキだって危ない物です。

それで、兄が据え置き型TapeDeckを購入するまでの間、この可搬型のデッキで家にあるレコードのあらかたをTapeに取って、持って行ったわけです。

新幹線の中でも、ヘッドフォンで聴いていました。WalkMan が発売される5年ほど前だったと思います。電車の中でヘッドフォンで音楽を聴いているような人は他にいませんでした。

 

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これが、現在のTANNOY Monitor RED 15inch / Rectangular York(made in England)を 直熱三極管の最高峰DA-30 (made in England) で鳴らし、寝室ではMonitorRed12" 飴色キャップのChatsworthをSTC-4300Bパワーアンプで聞いているているいまの私の出発点だったとおもいます。

 次回から、ここに至るまでの大騒動を記録しておくことにします。 

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